※露天風呂は現在機器の不具合により休止中です。
明徳元年(1390年)、楠正行公の令弟正義朝臣の家臣、高野木民部永張は、長者が原より栃尾郷に赴かんとする途中、足利勢と奮戦中に脚部に重傷を負ひしが、手当行き届かず苦痛治まらず、頼るべきは神助あるのみと高龍神闇龍神を懸命に 祈願しつつも、苦痛苦悶の余り、ついに前後不覚に陥り夢うつつの時、忽然と白髪長鬢の老翁が現れ、『此の川に添いて半里ほど下流に行かば白色の泉水が湧出す、其れを汲みて患部を浸せば、速やかに治癒すべし』と言い終わるや姿は煙滅す。夢から覚めた民部永張は老翁の教へ通り目的の霊泉に辿り着き、専心療浴せしに、不思議にも日ならずして、全治蘇生の思いの民部永張は、高龍神に深く御礼を言上し、村人に次第を語った。其の後里人により高龍神社として祭られ、天保3年(1832年)に豊玉姫令と合祀されました。